日米安保(条約・体制)

51年,サンフランシスコでの講和条約調印と同時に日米間に締結された軍事的な条約。
 60年6月23日に「日米両国防衛義務の明確化」や「極東における紛争に対しても基地提供」などを主な内容として「改定」が行われたが,「新条約」は「極東の範囲」や「事前協議」について不明確で,米軍の軍事攻撃に自動的に巻き込まれる恐れがあり,社会党,共産党,総評などによる安保改定阻止国民会議が結成され,反対デモが行われた。この時使われたデモの掛け声が「アンポフンサイ,トウソウショウリ」。
 89年「冷戦の終焉」により,日米安保はその存否を問われることとなったが,日米両政府は96年に「安保再定義」を行い,これまでの「対ソ脅威」対処型から地域紛争対処型の軍事同盟として強化存続させることとした。
 97年に日米安保条約による「日米共同対処」の範囲をそれまでの日本本土から,日本周辺地域に拡大する「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)が日米政府間で合意された。
99年と03年に成立した「周辺事態法関連3法案」,「有事法関連3法案」は「新ガイドライン」を実行するための法制備。
 日米安保(条約・体制)をめぐっては,民主・社民・共産では,それぞれ見解が異なるが,いずれにしろ「地位協定」問題も含めて米軍一辺倒の「安保体制」の見直しが求められる。県平和運動センターは毎年6月23日を反安保デーとして集会等を取り組んでいる。